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誰かにとってのヴィラン

カテゴリー 日常

タイトルはてにをはさんのヴィランが流れてたのでそれに吊られました。ぶらーん。
誰かにとってのヴィランでも、また違う誰かにとっては大事な存在かもしれません。

そんな訳でお久しぶりです。あ、そうでもない?
いやいや前回の更新3月ですもん久しぶりですわ。今寝っ転がりながらこれを打っています。スマホから更新できるって最高ですね。

いやー最近、いかがお過ごしでしょうか皆々様。
僕はですね、あまり元気ない感じです。ひきこもる分にはいいんですが不安障害が勝って外に出れなくてですね。この間自宅で今まで以上にない不安発作起こしてしまって自分でもビックリして「いっそ死んだほうがマシじゃねーの」「ああいや、何度も心は殺されているな」となりましたね。
生きてるのに殺され死んでる精神とかこの世じゃ当たり前になってて笑えない。
そんな僕を心配してか、友人がたまに声掛けてくれます。ちょくちょく連絡取り合ってます。最近ようやっと友人に頼るということを覚えました。
友人に「困った時は頼ってくれ」と言われた時、「《誰かに頼る》という選択肢が最初から無かったこと」に驚きまして、目からウロコというか。まず困っている自分を認識出来なかったし、そうなってもなるようにしかならず、どうでもよかったというか。希薄なんですよ。物事にも自分にも期待も執着も持たない人間でした。孤独のまま過ごすのが当たり前すぎていたのです。
それは「諦め」ではなく、自分なりの防衛対処だったんだと思います。
今日とっさに友人にヘルプサインを出すことが出来ました。しかしヘルプサインを出してどうにかなるのかよく分からないままチャットを送りました。まぁそれは結果解決というか、一緒に考えてくれまして、何とか活路は見えました。
今問題が起こってる自分の生活ぶり、抱えている病気も障害も認識しようと、理解しようとしなかった自分。誤魔化しは段々効かなくなって、主治医と相談しながら、友人にも相談して、段々自分の頭を悩ませているものが分かってきました。
まぁ、本当は出来れば、それを認識したくなかったのが本音です。現実は受け入れがたく噛み砕く事が出来なかったから。しかし今こうして認識して治そうとしている。創作したいなら生きる義務が生じ、ひとりで生きるならそれなりの努力と苦労をせねばならない。分かっていたつもりでした。いやーーーーーまだまだ理解の足りない人間ですな。

とりあえず今日は生存報告です。
皆さんもどうか自分が生きやすい道をいってください。エンドロールだけ眺めてても何も起きやしないんです。


今日はここで終いにしときましょう。
ではまた。
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